もうだいじょうぶ
さみしくないわけがない。
いつも母の後姿を見送っていた夏休み。
一人っこの私は、働く父と母を見送ってから長い長い一日が始まる。
さみしくないわけがない。
でもおかげで一人の時間の過ごし方が身についた気がする。
人間は一人で生まれて一人で死んでいく。
でも
その中で出会うたくさんの愛や優しさや、悲しみや痛み
そして喜びや感謝
そんなものに触れる度に、人がそばにいてくれるありがたさに気がつく。
支えてくれる人の存在に感謝が沸き起こる瞬間が訪れる。
さみしくないわけがない。
静岡の田舎から出てきて東京に住んで、早10年。
たくさんの痛手(笑)と楽しみと学びが溢れるあの街から
なぜだか突然大阪へ引っ越してきた私。
「何でこっちへきたの?」
そう聞かれて困る自分に気づく。
転勤?
自由業の私にそんな言葉は無関係。
結婚?
まだ婚約もしていない。
「ここにいたいと思ったから」
これ以上の答えがでてこない。
あまり理解をしてもらえなくてちょっと困る私がいる。
気に食わない奴を無意識下でけ飛ばし、大好きで一緒にいたい人だけが
そばにいればそれでいいんだと思って生きてきた。
それは私の未熟さゆえだと今はよくわかっているつもり。
ごめんなさい
そう伝えたい人はたくさんいる。
逃げても同じ問題にどうせ直面するだけだってよくわかったから。
たとえ自殺して現世を簡単に完了させたしたとしても、
生まれ変わっても同じ問題を解決するまでいつまでもいつまでも姿を変え、
形を変え、私たちの目の前に現象化してくるのだと知ってしまったから。
それならば、いつも目の前でおこる現象<問題?>に一つひとつ誠実に向き合う
より他ないと私は思う。
そうでなければ時間の無駄だ。
実はたくさんの人の暖かさに恵まれて今があることに気がつく。
そう気がついてみると、
なんだかもう
さみしくない。
そう思えるようになるまでに一ヶ月かかりました。
本当に忙しいのに、そばにいれくれる彼に本当に感謝します。
私はもっと知る必要があると思う。
私が私であるためには、
親がいてくれるありがたさ。
先祖がいてくれたありがたさ。
彼がそこにいれくれるありがたさ。
仲間がいてくれるありがたさ。
師がいれくれるありがたさ。
私が見ようとしていなかっただけで、
こんなに暖かいものがここそこにあることを。