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ある日の出来事

昨日の会社の帰り道。

いつもと違う道を通ったら、子犬を2匹連れた小さな女の子が道端で物乞いをしていた。
悲しいけどバンコクではこれも日常風景。
通り過ぎようとした瞬間に、子犬が繋がれていたチェーンがほどけて子犬がこちらに向かって走って来た。慌ててそのチェーンを掴んで、子犬をその少女のもとへ連れ帰してあげた。
少女はちょっとだけ笑ってお礼を言った。
私はしばらくその子犬を見つめていた。
細くて、目やにもいっぱいついていて、とてもじゃないけど健康とは言い難い。
私の心情を察知したかのように例の少女が「子犬たち、とってもお腹が空いてるの」と話しかけてきた。
分かっている、それはどう見ても明白だ。
そして彼女は、プラスチックの小さなカップを私の前に差し出した。
子犬にえさをあげたいからお金ちょうだい、もちろんそういうことなのだろう。

私は迷った。
私は今までほとんど物乞いの人にお金を恵んだことはない。
バンコクでは、マフィアが物乞いの人々と癒着していて彼らはすっかり労働者になっていると聞く。
そして彼らが恵んでもらったお金のほとんどがマフィアに巻き上げられるとかなんとか・・・。
どこまで本当の話かは私にも分からない。
でも、それが本当だとすれば彼らはこの負のスパイラルから一生逃れることはできないのではないだろうか? 一生をマフィアと過ごすことになり、彼らの自立は不可能なのではないだろうか?
そんなことを考えると、ここで簡単にお金を恵むことが彼らにとって本当に良いことなのか私には分からなくなる。毎回彼らの前を通るたびに必ず葛藤する。毎日彼らを見ているのだが、一生慣れることはないと思う。毎回必ずドキっとするし、自分がどうすべきか迷う。

でも、今回は私は彼女のひび割れたプラスチックのカップにお金を入れた。
「子犬のご飯を買ってね」と一言告げた。
彼女はうなずいて、それからすぐに私が入れた紙幣を抜き取ってぼろぼろの小さな鞄にねじ込んだ。プラスチックのカップの中には小額のコインが少しあるだけだった。
しかし、彼女の小さな鞄の中に、何枚かの紙幣があったのを私は確認した。
彼女の中で、紙幣がカップの中にあることは商売の妨げになる、という認識があるのではないかと私は思った。あくまで「困っている、貧困に喘いでいる」という見た目を作り出さないといけないと彼女なりに考えているのではないだろうか、そう思ってしまった。

しばらく座り込んだまま子犬を見つめていたが、私は立ち上がった。
そして何の目的もなかったが彼女の年齢を尋ねてみた。
「13歳」と彼女は答えた。驚いて声が出せない。
小さくて痩せている少女のことを、せいぜい8歳くらいかと思っていた。
「日本人なの?」と彼女は私に尋ねた。
頷いた私に彼女は言った。
「じゃあ、お金持ちだね」
私は何も言えずにその場を去った。

彼女が子犬たちのえさを本当に買ったのかは分からない。
おそらく買わなかったのではないかと思う。子犬たちは「かわいそう」という悲壮感を煽るただのアイテムとして使われているに過ぎない。
少女のこと、子犬たちのこと、タイにいる大勢の物乞い、ホームレス、難民、色々なことが頭の中をかけめぐっているが私に何ができるかなんていう答えは一度だって出てきたためしがない。
この気持ちが、いつか何かの結論に結びついてほしい。

小さな彼女にあまり悲壮感は無かった。
痩せっぽちではあったが、彼女の瞳には何か大きな野望を抱いたような輝きがあった。
私は彼女の瞳を信じたい。

私はまたあの道を通ってしまうだろう。
自分と葛藤しながら、また彼女に会いに行ってしまうだろう。
そんな予感がしている。

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コメント (1)

匿名:

経済的に貧しい国を訪れると、必ず体験する情景ですね。
子犬ではなくて、赤ちゃんの場合にはより、心をいためてしまいます。
避けられない現実と彼女の瞳の輝きが、心の葛藤を招いてしまうのですね。
それが、いつかは日常的な風景になってゆくのかな...

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2007年12月16日 03:03に投稿されたエントリーのページです。

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